320 シキドヴァジャは言った。
賢者よ。心が存在しないということについて、私が完全に理解できるように教えてください。
クンパが言った。
王よ。事実、心と呼ばれるものは、今も、今までも、けっして存在しなかったのです。心として輝くもの、それは無限のブラフマン(意識)に他なりません。心や世界という観念が起こるのは、その真の本性を知らないからです。
心や世界さえ実体のない架空の観念でしかないなら、いったいどうして「私」や「あなた」という観念が実在だと言えるでしょう?ですから世界が存在したことはなく、何であれ現れたように見えるものは創造されたこともなかったのです。
すべてはブラフマンです。だとしたらどうすれば、そして誰なら、それを知ることができるというのでしょう?
現在のこの創造の始まりにおいてさえ、世界が創造されたことはありませんでした。この「創造」も、ただあなたが理解できるように、私がそう呼んでいるだけです。原因となるような要素さえ存在しないのだから、まったく何も創造されなかったのです。それゆえ、何であれ存在するものは、ブラフマンに他なりません。名前も形もない神がこの世界を創造したというのは、理論的にもおかしな話です。そのようなことはあり得ません。世界創造が偽りとして見られたとき、創造の観念を抱いた心もまた偽りであることが分かるのです。
心とは、真理を限定する観念の束にすぎません。しかし、そうだとすればそれは分割となり、そこに分離の可能性があることを意味します。もし無限の意識が分割できないものなら、分離の可能性も、分割もあり得ないはずです。そのような分割者である心が、どうして実在であり得るでしょう?
何であれここに存在するように見えるものは、ブラフマンの中にブラフマンによって知覚されるのであり、そのような知覚が、ただ便宜上、心として呼ばれているのです。この宇宙として拡張したものも、無限の意識に他なりません。だとしたら、どうしてそれを宇宙とよぶのでしょうか?
この無限の意識の次元の中では、たとえどんなにわずかな現れであろうと、それは意識がそれ自身の中に反映されたものにすぎません。それゆえ、心も世界も存在しないのです。ただ無知ゆえに、このすべてが「世界」として見られているだけです。ですから、やはり心は実在ではにのです。
・・・・・ヨーガ・ヴァーシシュタ P382より