喜びの存在 Joyful-Being

真我、空、静寂、意識、非二元、存在、実在、覚醒、悟り、エネルギーに関連するブログです。

2020-01-01から1年間の記事一覧

身体と死

身体は存在している。 もしくは存在しているように見える。 それはあなたが死があると信じているからだ。 身体と死は、同じ幻想の一部だ。 ・・・エックハルト・トール

そうである

ただ ただ 明白さが 在る ただ ただ そうである

方便

指し示されるものを見て 指し示しの方法は 捨ててしまう 空っぽさ (開き) が全てで どんなものにも実体はないけれど それでも 全てが 在るんだな

真の瞑想

真我を実現した後、 真の瞑想がはじまる。 その状態で理解することは何もない。 それゆえ、理解することのできない真我が あなたをそれ自体の中に引き込み、 あなたの注意が揺るぎなくそれに集中するようにさせるのだ。 あなたのすべての注意が真我の中に引…

そのままに

前ほど ストーリーにのまれなくなったなぁ~ っという ”私”の強化 そういった 思考も ただ起こり 消えていく 消えるがまま そのまま もう どこにも 向かう者がいないままに 起こり 消えるがまま そのままに

This is it

ここにあるもの ただ そのままに

ただそうである

沈黙 ・ ・ 以下 来た事が、去った事、、、、 生じた事が、滅した事、、、、 在るが、無いで、、、無いが、在る、、、、事です。 もう少し、補う様に言えば、、、、 去ったのか、来たのか、、、、 滅したのか、生じたのか、、、、 無いか、在るか、、、、 分…

ただ在ることの

静けさに ただ在ることの 秋の月 ・・やっぱり 月とススキって セット・・なのかな・・・

私は存在しない

「分離した個人は存在しない」ということをもし知っていれば、私たちは苦しんでいないでしょう。 苦しむと同時に、「分離した個人は存在しない」ことを理解していると主張することはできません。 この二つの立場は両立しません。 ・・・ルパートスパイラ よ…

あるがまま

私というイメージ(脳内)の歴史が ぽとりと落ちて 刹那、刹那が 生そのものになると =日常 生きてるのは 紛れもなく今、 もっと言えば、この刹那 この もないくらいの 刹那の 起こっていることだけ 望みもなく 反省もなく どうあろうとか どうありたくない…

開き

ただ在るの 天地いっぱいに 満ち充ちて

澄みわたり

秋空に 薄紅色の 光在り

拈華微笑

信不信 快楽不楽 真偽是非 理解不理解 拈華微笑

あるがまま 問題がある という見方が存在しない 主体もなければ 対象もないので 関わることがない

面目坊

一瞬一生、命の燃焼 一期一会、命の巡り愛 一所に留まることなく 流れながら様々なものに出会い 交じり合い 染まり また流れ 新しい出合いを受容し 流れリフレッシュし 流れ 流れ 澄んでいく 一所不在 受容自在

喜びの存在

在ることのただにうれしき光る風 きみ在れわれ在れ風のゆらぎに (仁)

何かが必要であるという考え

起こっていることだけが ただ あります ここで 気づきは 必要ありません 何かに 気づいている という考え (気づきは 何かに気づかなければなりません) ただ 起こっていることだけが あります それは 完全で 完璧です 何も 必要としていません