さて
「私」という個性的な感覚の濃度を
じっと 見る・感じる
それが
単なるイメージのようなものなんだということが
よくわかる
「私」という心の中のおしゃべりは
単なる考えでしかない
「私」は
流れる雲のようなもの
あるいは 流れるテロップのようなもので
今では
ほとんど 思い出せないくらい
僅かな薄さ・・
僅かな薄さは
消えない記憶・・物語の記憶の残骸だったりして
それは
「私」のあからさまな記憶で
見事なでっちあげ で しかなくて
意識の透明さと
偏在と
あっけらかんの 何もなさが
不動の不動なので
なんでもない