「分離した個人は存在しない」ということをもし知っていれば、私たちは苦しんでいないでしょう。
苦しむと同時に、「分離した個人は存在しない」ことを理解していると主張することはできません。
この二つの立場は両立しません。
・・・ルパートスパイラ
よ~く 観てみると
私 は
考えにすぎません。
どこにも
私 は
ついていません。
スロー スロー で
よ~く
観てみると
わかります。
「分離した個人は存在しない」ということをもし知っていれば、私たちは苦しんでいないでしょう。
苦しむと同時に、「分離した個人は存在しない」ことを理解していると主張することはできません。
この二つの立場は両立しません。
・・・ルパートスパイラ
よ~く 観てみると
私 は
考えにすぎません。
どこにも
私 は
ついていません。
スロー スロー で
よ~く
観てみると
わかります。
私というイメージ(脳内)の歴史が
ぽとりと落ちて
刹那、刹那が
生そのものになると
=日常
生きてるのは
紛れもなく今、
もっと言えば、この刹那
この もないくらいの
刹那の
起こっていることだけ
望みもなく
反省もなく
どうあろうとか
どうありたくないとか
諸々が
入ってくる隙間がないほど
ぴったりで
刹那、刹那
最悪だったり
最良だったり
今生まれ
次の瞬間
滅
とんでもなく
自由で
生は
自ずから
展開している