喜びの存在 Joyful-Being

意識、非二元、存在、実在、覚醒、悟り、目覚めに関連するブログです。

色とは:「タントラへの道」より

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色とは

それに対して

私たちが自分の概念を投影する以前に在るものだ。

 

それは<ここに在るこの>の根源的な状態、

あらゆる状況に存在する

色鮮やかで生き生きとした本質、

ドラマティックで感動的な美しい本質のことだ。

 

色は枝から離れて

山間の谷川に舞い落ちる楓の葉でもよいし、

満月の光でもよい。

また道端の溝でもゴミの山でもよい。

 

これらは<あるがまま>のものだ。

そしてある意味でそれらはすべて同じだ。

 

すべてが色であり、

すべてが対象であり、

すべてがただ在るものだ。

それらに付け加えられる評価は、

後から私たちの心の中で創り出されるものにすぎない。

 

もし私たちが

真にありのままにそれらのものを見るならば、

それらはただ色なのだ。

 

そして「色は空なり」。

 

しかし、何の空なのだろう?

色は私たちの先入観の空であり、

判断の空だ。

 

私たちが谷川に舞い落ちて浮かぶ楓の葉を

ニューヨークのゴミだめに対立するものとして評価し、

分類しなくても、それらはただ在る。

 

あるがままだ。

そのもの自体は先入観を含んでいない。

まさにあるがままなのだ。

あたりまえのことだ。

 

ゴミはゴミ、楓の葉は楓の葉。

<在るもの>は<在るもの>。

 

私たちが

自分自身の個人的な解釈をさしはさまずにそれを見るならば

まさに色は空なりだ。

 

****「タントラへの道」 P243 チョギャム・トゥルンパ****

 

joyful-being.hatenablog.com

現象が気にならなくなる。

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問題という現象は

いつも

見違いが

具現化したものです。

 

 

具現化は固定していないので

見違いを

変えることで

(別の見方をすることで)

(考えを別の考えにすることで)

現象は変わります。

 

私たちは

意識体験する意識・

全体性です。

 

神性の意識が

私たちです。

 

見違いは

本来の無欠の自己から離れて

(自分は)形態であるという 

小さな自己であるという意識の考えです。

 

私たちは

無欠(全知・全体性)の意識へ深まることで

形態という現象が

気にならなくなります。

 

 

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